飛鳥・奈良様式

教科書的には、仏教伝来とともに、中国の唐を中心とする建築様式が日本に移入され始めてから、日本で国風化されていく過程も含め、総じて「和様」と呼ばれることが一般的ではある。しかし、飛鳥や奈良の建築様式には、平安以降の「和様」の典型とは明らかに異なる形式が多く見て取れるため、「飛鳥・奈良様式」として別立てした方が、誤解も少なく、理解もすすむものと考えられる。
例えば、法隆寺・法起寺に見られる「雲斗・雲肘木」は、その源流を漢代の「二斗」に由来するともいわれ極めて特殊である。
また、「二軒」における「地円飛角(じえんひかく)」すなわち、「地垂木」を円材、「飛檐垂木(ひえんだるき)」を角材にといった渡来形式が、平安時代には「地角飛角」と変化し、それが「和様」の基本となる。さらに、平安時代の「和様」に見られる構造体としての横架材である「長押」は、飛鳥・奈良様式にあっては設けられず、堂宇の出入り口の「楣(まぐさ)」に類似のものがみられるのみである。

能舞台

能楽を演じる舞台。京間三間四方の本舞台の奥に一間半三間の後座、右脇に半間三間の地謡座をつけ、鏡の間と後座との間に斜交する橋掛りをかけたもの。本舞台・橋掛り・楽屋などは屋根掛け、見所は露天のままとする。


二方差し

胴差や差鴨居や足固め等の大断面横架材と柱との接続方法を表すもので、柱と二面接続する場合は二方差しと呼び、三面や四面以上接続する場合では三方差し、四方差しと呼ぶ。

割拝殿

平安末期ころに現れた拝殿の形式。横長の平面の中央を土間(馬道・めのどう)をとって通路としたもの。