旧第一銀行など、多くの銀行建築を設計した建築家。東京生まれ。東京帝国大学建築学科卒。曽禰中條建築事務所・清水組を経て第一銀行建築課長となる。作品には、旧第一銀行熊本支店(現ピーエス熊本センター)、旧第一銀行函館支店(現函館文学館)、山二証券、旧第一銀行清和園清風亭(深谷市に移築保存)、旧第一銀行丸太町支店(現京都中央信用金庫丸太町支店)、旧第一銀行横浜支店(現横浜アイランドタワー)、旧渋沢邸洋館(東京潮見に再移築予定)、旧満州中央銀行本店(現中国人民銀行長春中心支行)、愛知県庁舎(共同設計/渡辺仁)などがある。
ミース・ファン・デル・ローエ
独国出身の米国人。「近代建築三代巨匠」の一人。20世紀のモダニズム建築を代表する建築家。P.ベーレンスの事務所に勤務。1920年代以降、建築空間の処理の上でユニークな才能を発揮して、近代建築の開拓者の一人となった。初期の作品には、鉄とガラスの摩天楼案、ヴァイゼンホーフ・ジードルング、バルセロナ万博のドイツ館、チェコのブルノのトゥーゲントハット邸、などがある。H.マイヤーの後を受けて、バウハウス の校長を務める。1937年米国に渡り、イリノイ工科大学の教授となり、同大学の建築を始めとして、シーグラムビルディング、ファンズワース邸など、大胆に鉄をガラスの建築を実現した。
その他、ベルリンの国立近代美術館がある。「Less is more」(より少ないことは、より豊かなこと)や「God is in the detail」(神は細部に宿る)という標語で知られ、それが近代建築の一つのコンセプトとなった。柱と梁によるラーメン構造の均質な構造体が、その内部にあらゆる機能を許容するという意の「ユニヴァーサル・スペース」という概念を提示した。
波江悌夫
大阪を中心に活躍した建築家。東京生まれ。東京帝国大学工科大学建築学科卒後、片岡建築事務所を経て、大阪市営繕建築家課長に就任。後に波江悌夫建築事務所開設。作品には、大阪毎日新聞本社(片岡建築事務所で基本設計担当/玄関部のみ保存)、大阪城天守閣(基本設計/大阪市)などがある。
内藤多仲
佐野利器 に師事。戦前より数々の構造設計を手掛け、「耐震構造の父」といわれる。山梨県出身。東京帝国大学卒。戦後は、電波塔・観光塔の設計を手掛け「塔博士」と呼ばれた。構造設計としては、旧大阪商船神戸支店(渡邊節)、早稲田大学大隈記念講堂(意匠/佐藤功一、音響/佐藤武夫)、明治生命館(岡田信一郎)、世界平和記念聖堂(村野藤吾)などがある。また、NHK愛宕山放送局鉄塔、名古屋テレビ塔、2代目通天閣、別府タワー、さっぽろテレビ塔、東京タワーの設計がある。
長谷部鋭吉
日建設計の母体の長谷部竹腰建築事務所の創業者の一人。札幌生まれ。東京帝国大学建築学科卒。作品には、住友ビルディング(大阪)、泉屋博古館、日本生命保険本社、カトリック芦屋教会、大阪カテドラル聖マリア大聖堂などがある。
内田祥三
東京生まれ。東京帝国大学工学部建築学科卒。元東京帝国大学総長。佐野利器 の下で建築構造学を研究。日本の鉄筋コンクリート・鉄骨構造学の基礎を築く。「内田ゴシック」といわれるデザインパターンの建物を多く設計する。作品には、東京大学本郷・駒場キャンパスの一連の建物、東京大学医科研究所、安田火災海上本社ビル(損保ジャパン本社)などがある。
山田醇
住宅作家としての道を歩み、和洋折衷住宅を発展させた建築家。子息の病をきっかけに、健康住宅を研究し提唱した先駆者の一人。埼玉家秩父市生まれ。東京帝国大学工学部建築学科卒。(竹腰建造・西村好時・山下寿郎・渡辺仁 らが同期)辰野葛西建築事務所を経て独立。作品には、須磨川崎家別荘洋館、閑院宮家別荘、小田原閑院宮家別荘、醍醐侯爵靗別荘、徳川侯爵靗別荘、興津別荘地旧五島靗、世田谷築山家住宅、秩父宮前家住宅、富山伊東家(旧松下家)住宅などがある。著書に「これからの健康住宅」(毎日新聞社1960)がある。
薬師寺主計
岡山県総社市生まれ。東京帝国大学工科建築学科卒。陸軍省技師を経て、倉敷絹織株式会社(現クラレ)の取締役に就任。大原家に関わる施設を中心に建築設計を手掛ける。後に株式会社藤木工務店監査役も務める。作品には、第一合同銀行倉敷支店(現中国銀行倉敷本町出張所)、倉敷中央病院、大原美術館本館などがある。
西村伊作
日本の教育者で文化学院の創始者。大正・昭和期に活躍した建築家・画家・陶芸家・詩人・生活文化研究家。和歌山県新宮市生まれ。母方の西村家(奈良県下北山村・和歌山県北山村一体の山林王)の当主となる。広島県の明道中学卒後実家に戻り、家業である山林管理と材木商を継ぐ。1920年兵庫県御影町に西村建築株式会社を開設。翌年、娘のために自らが考える真の学校教育を模索し、文化学院を創立する。(2018年閉校)現存する作品には、新宮市の自邸(重文/現西村伊作記念館)、旧文化学院校舎(軽井沢に移築復原/現ルヴァン美術館)、旧桑原医院(現下北山村立歴史民俗資料館)、倉敷教会、石丸助三郎邸(現結婚式場ラッセンプリ広尾)などがある。余談であるが、建築の 坂倉準三 は、女婿(次女・百合の夫)である。
安井武雄
大阪を中心に活躍した建築家で、「真にして美なるもの」を追求する自由様式を標榜する。千葉県佐倉市生まれ。東京帝国大学建築学科室。野村財閥の創始者である野村徳七の後援があり安井建築事務所を開設。作品には、大阪倶楽部、高麗橋野村ビルディング、日本橋野村ビルディング、大阪瓦斯ビルヂング、山口吉郎兵衛邸(現滴翠美術館)などがある。