Colonial style。植民地様式。17~18世紀に、イギリス・スペイン・オランダなどの植民地で行われた建築や工芸の様式。特に、米国の植民地時代の建築について言われるもので、英国の古典主義様式を簡略化した様式。日本の明治時代初期の洋風建築に見られる吹放しの柱廊を設けた形式は、コロニアル様式の模倣である。
ロココ様式
Rococo style。1730年頃から1770年頃にかけて全欧に栄えた建築様式。ロココという語は、元来「ロカイユ(貝殻装飾)」を主要モティーフとする装飾様式を指す。主として教会堂や宮殿・邸館などの軽快、優雅、繊細な内部装飾や家具調度品の装飾に対して用いられた。
他方、建築の形式や外観は、前時代のバロック建築と本質的に異なるところはない。そのためロココ建築を後期バロックの建築として扱うことが多い。代表的な建築家には、J.A.ガブリエル、D.ツィンメルマン、B.ノイマンなどが挙げられる。
バロック様式
Broque style。1600年頃から1730年頃にかけて全欧に広まった建築様式。「バロック(歪んだ真珠)」の語が示す通り、荘重端正なルネサンスの古典主義建築に対し、流動的なリズム感、豪華絢爛たる絵画的印象、劇的な明暗効果などを重んじる。
凹凸の曲面・楕円、湾曲した輪郭線など、不規則な形式を好んで用い、スタッコ・色大理石・鍍金などによる過剰装飾の傾向を持つ。バロックと次代のロココの建築様式の境界はあまり明確ではない。そのため1730年以後のロココ建築をも後期バロックに含めて扱うことが多い。代表的な建築家には、G.L.ベルニーニ、F.ボロミーニ、G.グアリー二などが挙げられる。
マニエリスム
Manērisme。一般に、美術や文芸の制作に当たって著しく既成の手法に依存して新鮮味を欠いていること。すなわち、軽蔑的な意味での「マンネリズム」のこと。イタリアの盛期ルネサンスとバロックの間の時期、すなわち1530~1600年頃の芸術様式。
建築では、D.ブラマンテによって完成された古典主義の段階と、G.ベルニーニによる動感豊かな表現の段階との間に位置する様式段階を指す。基本的には古典的な建築観の崩壊を意識しながら、しかも依然として古代のモティーフを採用してその空間的処理に工夫を凝らす。構造の論理の視覚化という正当な手段は捨てられ、イリュージョンの秩序が求められるなど、その現れ方は多様であるが、総じてN.ペブスナーのいう機智的なエレガンスを特徴とする。ミケランジェロ、G.ロマーノ、B.ペルッツィらの作品に見られるのがその例。
ルネサンス様式
Renaissance style。15世紀から16世紀にかけてのルネサンス時代に、先ずイタリアを中心に起り、全欧に広がった古典主義的な建築様式。古代ローマの荘重な様式を理想とし、そのアーチ・ヴォールト 構造、柱頭形式・装飾モティーフなどを採用し、建築各部の比例的調和、左右対称、均斉、形式の簡素・明瞭性などを重んじた。
前時代のゴシックの垂直性に対して水平線を強調するなどの特徴を持つ。当時の人間中心の思想や現世主義を反映し、教会堂建築のほかに宮殿・別荘・邸館・市庁舎などの世俗建築や都市計画、広場設計などが発達した。代表的建築家には、F.ブルネレスキ、L.B.アルベルティ、D.ブラマンテ、ミケランジェロ、A.パラディオなどが挙げられる。
ハーフティンバー様式
half-timber construction style。アルプス以北の欧州(英・独・仏)の木造建築に多く見られる技法で、特に15世紀から17世紀において、英国の住宅に多用された。
「半木骨造」とも呼ばれる。柱・梁・筋違・間柱・窓台などの軸組は隠さずに、装飾材としての役目を兼ね、軸組の間を漆喰や煉瓦・石などで仕上げる。
ジャコビアン様式
Jacobean style。英国ジェームス1世の治世(1603~1625)に行われた建築・工芸の様式。垂直式ゴシックのモティーフと、いささか濫用ぎみの古典的装飾の混在に特徴がある。
先行する エリザベス様式 の華美さは抑えられ、落ち着いた佇まいを示すようになる。また、石材に代わって煉瓦が多用され、窓も小さな矩形の物となる。代表例には、ハットフィールド・ハウスやチャールトン・ハウスなどが挙げられる。
エリザベス様式
Elizabethan style。英国エリザベス1世の地勢(1558~1603)に流行した建築様式。テューダー様式 と ジャコビアン様式 との間に挟まれた過渡的様式。
ゴシックの垂直構造を基本俊、テューダー様式の尖塔や窓の多い外観を踏襲しながらも、細部の装飾や対称性の原理の行き渡った ファサード に伊・仏の ルネサンス様式 の影響が見られる。代表例には、バーグレー・ハウスやハードウィック・ホールなどが挙げられる。
テューダー様式
Tudor style。英国の15世紀末頃から17世紀初頭までの建築様式。ばら戦争の終結とともに、後に「テューダーの平和」と呼ばれる時代が訪れると、1530年代には建物の様式がゴシック様式から変化が生じるようになる。
この様式は軍事目的の城郭が、宮殿やカントリーハウスに変化した時代の様式といえる。外観の変化として、窓が大きくなり数も増え、採光能力が向上した。「オリエル・ウィンドウ」や「ボウ・ウィンドウ」などの出窓が設けられ、また ゴシック様式 の尖塔から後に「テューダーアーチ」と呼ばれる扁平なアーチが導入された。内部の変化として、折り合わせた布を模した木製パネルの「リネンフォールド・パネル」で覆うようになる。
ゴシック様式
Gothic style。ロマネスクとルネサンスの中間時期の建築様式。その構成要素は、「尖頭形アーチ・リブ ヴォールト・フライイングバットレス」であるが、これらの要素自体はゴシックの発明ではない。ゴシック建築の特徴は、これらの要素を総合して石造の教会堂を構造的に安定した形態へと完成したところにある。
この様式が生まれたのは、パリを中心とするイルドフランス地域に由来しサンドニ修道院教会堂の内陣部である。その後、パリのノートルダムを始めとしてシャルトル・ランス・アミアン大聖堂などの優れた例が発達したが、14世紀後半とりわけ15世紀には、装飾的意図の強い「フランボヤイアン様式(火炎式)」が栄えることとなった。この様式は欧州各地にも広まり、かなり長い間強く保持された。