扉の歴史は、軽量化と経済性を目標とした技術改良史でもあるといえる。飛鳥・奈良時代の扉は、重量があり、軸吊りでなければもたない。上部を「鼠走り」「楣」で、下部を「敷居(閾)」で吊り込んでいる。
法隆寺金堂の扉は、幅1m×高さ3m×厚み10cmの「一枚板戸」であるから、相当な大木から採られたものと想像される。幅広材の入手に難点があり、経済性を考慮し、後に板幅の狭い2枚以上のものを並べ、上下を「端喰(はしばみ)」という横材で継いだ「端喰入り戸(はしばみいりと、端喰戸)」が登場する。宇治上神社本殿のそれは、2枚板を矧ぎ、召合せに立派な「定規縁(じょうぎぶち)」を備えている。
これらが、いわゆる「板唐戸(いたからと)」と呼ばれる扉建具である。単に「板扉・板戸」ともいわれる。
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