丹下健三

(たんげけんぞう、1913~2005)
建築家
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日本では「世界のタンゲ」と言われたように、日本人建築家として最も早く国外でも活躍し、認知された一人。第二次世界大戦復興後から高度成長期にかけて、多くの国家的プロジェクトを手掛けた建築界のトップリーダー的存在であった。大阪府堺市生まれ。東京帝国大学工学部建築学科卒。(内田祥三岸田日出刀 に師事)前川國男 事務所に入所後、東京帝国大学大学院に入学、修了後同大学助教授となり「丹下研究室」をつくり磯崎新・黒川紀章・槇文彦・谷口吉生らを育てる。作品には、広島平和会館原爆記念陳列館(現広島平和記念資料館本館)、津田塾大学図書館、倉吉市庁舎、香川県庁舎、今治市役所庁舎、今治市公会堂、旧倉敷市庁舎、立教大学図書館、日南文化センター、香川県立体育館、東京カテドラル聖マリア大聖堂、国立代々木競技場第一。第二体育館、今治市市民会堂、戦没学徒記念館、山梨文化会館、静岡新聞・静岡放送東京支社ビル、草月会館、東京大学理学部5号館・本部棟、兵庫県立歴史博物館、愛媛県民文化会館、広島厚生年金会館(現広島市文化交流会館)桐蔭学園幼稚園・小学校・中学校、横浜美術館、東京都庁舎、国際連合大学、フジテレビ本社、山口県立美術館・浦上記念館、WHO神戸センターなどがある。