大和棟

(やまとむね)
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「大和棟」は、大正期以降、今和次郎などの民族学者により唱えられた名称であって、昔からの呼び名ではない。それまでは「高塀造」と書き「たかへ・づくり」と呼ばれていた。関西では「塀」のことを「へい」ではなく「へえ」と発音するので、正しくは「たかへえ・づくり」とルビを打つべきかもしれない。
奈良県・大阪府・京都府南部における、自作農以上を象徴する屋根形式の一典型であり、富裕農家であることの証拠ともいえる。そもそも、奈良や大阪は、幕府直轄の「天領」が多く、基本的に税が他の「領国地」に比べ低かったため、自作農以上は裕福であったことが大きいともいわれる。
形態的にいえば、母屋部分を急勾配の切妻の茅葺とし、塗籠とした両妻に大屋根より高い瓦葺の小屋根の付いた袖壁(高塀/たかへえ)を建て、下屋部分は緩勾配の瓦葺としたものである。「大和棟」と総称されるものの中には、高塀部分が母屋の草葺(茅葺)屋根より少しく落ちた瓦葺とするものもあるが、それを「歪み高塀(ひずみたかへ)」と呼ぶこともある。
尚、京の町屋で、主屋から離し、街路に対して「高塀(たかべい)」を建てる「高塀造(たかべいづきり)」の形式があるが、まったく同じ文字であり、紛らわしいくもあり「大塀造(だいべいづくり)」とも呼ばれている。