現在では、「障子」といえば「明障子」のことのみを意味するが、元は「衝立(ついたて)」や「襖(ふすま)」などの総称であった。社殿の両脇奥に配される「脇障子」にその名残が認められる。
当然のことながら、「明障子」が登場するまでは、建具を閉じれば、室内は昼間でも真っ暗であった。美濃紙のなかったころは、薄い絹布を張っていたといわれる。腰を板張りにして透光を調整した「腰高明障子」、成の高さの低い「間半(まなか)障子」などがある。
陽の光の透過のみならず、拡散光を室内に取り込み、さらには外界の気配をやさしく感得することのできる、日本の建築空間の要を担う重要な部位のひとつといえる。
現在において「明障子」は二本溝の引き違いが一般的であるが、元は三本溝に「舞良戸(まいらど)」の引き違いと片引き一枚の「明障子」という組合せが基本であり、民家にもその形式のものが多い。
今一つ、「半蔀戸(はじとみど)」との組合せの場合はどうなるかといえば、柱間が昼間は全開放となり、そこに「明障子」を建てつけるときには、自然に二枚の引き違いとなる。そこで、東福寺の「方丈」である龍吟庵(国宝)の南面広庇では、引き違い障子の両端の竪框を一筋の溝幅に合わせて幅広にし、建具を開けた(重ね合わせた)状態で、合体した一枚の障子となるように工夫された、いわゆる「一筋子持ち障子」と呼ばれる優れものが登場する。奈良町の今西家書院などにも同様の障子があり、一見に値するものとして紹介しておきたい。
明障子
(あかりしょうじ)
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