本殿

(ほんでん)
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元来は、祭礼に際して、一定期間に限り、神域において仮に設けられた施設に神霊の降下を仰ぎ、祭礼の後に取り壊されるものであった。「大嘗祭」の「悠基(ゆき)」「主基(すき)」などに見られる通りである。「本殿」が恒久的施設となるその起源は、伊勢神宮の「高床倉」や、出雲大社の「宮殿」にあるともいわれている。
奈良時代になると、仏教建築や宮殿建築の影響を受け、種々の形式の「社殿」が生まれる。「素木」・「切妻造」を原則としていたのに加えて、「丹塗(にぬり)」・「入母屋造」のものも現れる。すなわち「神明造」・「大社造」に加え、「住吉造」・「流造」・「春日造」などが生み出されていく。
また、「本殿」の手前に「拝殿」が設けられ、さらには「本殿」と「拝殿」との間に、参拝者が「幣帛(へいはく)」を供えたり、祝詞を奏上するための「幣殿(へいでん)」が加えられ「八幡造」や「権現造」などに発展することとなる。
元来は、祭礼に際して、一定期間に限り、神域において仮に設けられた施設に神霊の降下を仰ぎ、祭礼の後に取り壊されるものであった。「大嘗祭」の「悠基(ゆき)」「主基(すき)」などに見られる通りである。「本殿」が恒久的施設となるその起源は、伊勢神宮の「高床倉」や、出雲大社の「宮殿」にあるともいわれている。
奈良時代になると、仏教建築や宮殿建築の影響を受け、種々の形式の「社殿」が生まれる。「素木」・「切妻造」を原則としていたのに加えて、「丹塗(にぬり)」・「入母屋造」のものも現れる。すなわち「神明造」・「大社造」に加え、「住吉造」・「流造」・「春日造」などが生み出されていく。
また、「本殿」の手前に「拝殿」が設けられ、さらには「本殿」と「拝殿」との間に、参拝者が「幣帛(へいはく)」を供えたり、祝詞を奏上するための「幣殿(へいでん)」が加えられ「八幡造」や「権現造」などに発展することとなる。