浄土庭園

(じょうどていえん)
« Back to Glossary Index

平安時代の中葉に「浄土(式)庭園」が発生する。その後、鎌倉時代の中葉の禅宗系の庭園が造られ始めるまでの間、この地泉形式が継続する。
「末法思想」について若干述べておく。伝教大師最澄は「末法燈明記」において、「末法」の元年となるまでの年数を記載し、その年が永承七年(1052)に当たるとされ、それが世に広まった。
因みに、仏教では「三時(さんじ)」という時代区分をする。釈迦入滅後の五百年は「正法(しょうぼう)」といい、正しい教え・正しい修行・そして悟りが得られる時代、次の一千年は「像法(ぞうぼう)」といい、(「像」は似ているという意味で)正しい教え・正しい修行はあるが悟りが得られない時代、そしてその後の五十六億七千万年後に弥勒如来が出現するまでを「末法(まっぽう)」といい、正しい教えだけあって、正しい修行も悟りもない時代となる、といった思想である。
私たちが現在想像することが到底不可能なほどに、人々の心理状態は切迫していたといわれる。藤原道長は鴨川の西岸に九体阿弥陀堂を池泉の西側に建てた法成寺(ほうしょうじ)を造立し、頼通は件の平等院鳳凰堂を建立し、その後も浄瑠璃寺・円城寺などと池泉を持つ「浄土(式)庭園」が多く造られていくのである。