胴張

「曲面が、同一円弧である」ことを前提とすれば、以下のような仮説が成り立つはずである。(あくまでも仮説であり、検証はしていない。)
「胴張」の場合を示す。①先ず、柱の縦断面の矩形を仮に描く。②柱頂の末口の位置、点Aを決める。③柱基部より、柱長の三分の一の高さの水平線と柱の断面との交点を、点Bとする。④線分ABを二等分する点Cから垂線をひき、点Bを通る水平線との交点を、点Dとする。➄点Dを中心とする、半径BD(AD)の円弧を描くと「胴張」の曲面が得られる。
一方「エンタシス」の場合を示す。①同様に、先ず、柱の縦断面の矩形を描く。②柱頂の末口の位置、点Aを決める。③柱基部の点Bと、点Aを結び、線分ABを二等分する点Cから垂線をひき、柱基部の水平線との交点を、点Dとする。④点Dを中心とする、半径BD(AD)の円弧を描くと「エンタシス」の曲面が得られる。
一度、スケッチをして確認してみてください。しかし、あくまでも仮説であるので、新説の出てくることを期待する。

銅板葺

金属板葺に銅板を用いるもの。江戸時代以降に使用されるようになった。

「塔」とは、インドにおいて仏教とともに発生した構築物で、仏陀の遺骨を奉安し供養するために営まれた象徴的な意味での「墓」である。「塔」というのは、当時の口語バーリ語の「トフバ」が中国に伝来し「塔婆」と音訳され、略して「塔」となったものである。「塔」の文字は大陸古来の文字ではなく、六朝時代に異国の文物を紹介する際の必要性から案出された形聲文字といわれている。因みに、古代インドの文語サンスクリット語(梵語)では「スツゥパ」と呼ばれ、それが「卒塔婆(卒都婆)」に音訳されている。
飛鳥時代の「塔」は、伽藍における最重要建物で、常に中央軸上に配され礼拝の対象とされた。奈良時代に入り、しばしば中央軸の左右に「東塔・西塔」が配されるようになるが、東大寺では、それを伽藍の外に配するようになる。平安時代、密教の伝来にともない「多宝塔」が多く造られるようになり、神仏習合思想により神社境内にも建てられた。(かつて、住吉大社の「神宮寺」には「東西大塔」があり、神仏分離後、西塔は阿波切幡寺に移築され現存している)禅宗では、教義上あまり「塔」は重視されない。(曹洞宗・安楽寺の八角三重塔/国宝は別格)日蓮宗は設けるが、浄土宗・浄土真宗は稀にしか設けない。

天蓋

仏像の頭上に懸け吊るされた蓋状の覆いのこと。原意は、印度の貴人が外出時に使う「蓋」をさす。「裂(きれ)」を張った「裂蓋」の他、木製・金属製もある。四周の縁に「瓔珞(ようらく)」を垂らす。(瓔珞とは、大日如来及び菩薩以下が付ける装身具)密教では、「金剛界・大悲胎蔵生・両曼荼羅」の上にも、正式には用いるとされている。