日本の構造学の発展に多大な貢献を果たす。山形県出身。東京帝国大学建築学科卒。関東大震災後の都市復興、都市計画に従事。国技館、東京駅、復興小学校建築多数、神奈川県庁舎、学士会館などの構造設計を担当。
ウィリアム・メレル・ヴォーリズ
米国出身。英語教師として来日後、建築事務所を開設。近江八幡市に居住し、教会・学校・病院・個人宅などを設計。メンソレータムを日本に広めた実業家でもある。作品には、日本基督教団京都御幸町教会、同大阪教会、同浪速教会、同福島教会、同今津教会、同堅田教会、明治学院チャペル、関西学院大学キャンパス、神戸女学院(14件の重文)、旧豊郷小学校、同志社大学啓明館・アーモスト館、ヴォーリズ記念病院、大丸心斎橋店、大丸京都店、東華菜館、山の上ホテル、旧プレスビテリアンミッションハウス(遠藤家住宅)、駒井家住宅(現駒井卓・静江記念館)、旧下村正太郎邸(現大丸ヴィラ)、近江岸家住宅、旧小寺家山荘(現六甲山荘)、旧舟岡省吾邸(移築/現京都工芸繊維大学KIT倶楽部)などがある。
ブルーノ・タウト
独国出身。表現主義建築で名を馳せる。ナチスの迫害により日本に亡命。日本建築の伝統美を見出し「桂離宮」「合掌造り」などを世界に紹介する。(その案内人は、逓信省の 吉田鉄郎 であったといわれる)実業家日向利兵衛の別邸の地下室(熱海市指定文化財)が、日本での唯一の作品。後にトルコに渡る。
大江新太郎
日光廟(東照宮)大修繕に携わって以来、生涯に渡って日本の伝統建築を追求した建築家。東京生まれ、京都育ち。東京帝国大学工科建築学科卒。子息が、建築家の 大江宏。作品には、明治神宮宝物館(重文)、高野山霊宝館、神田神社社殿(共同設計/佐藤功一)、厳島神社宝物館、日光廟大修繕、明治神宮大造営、伊勢神宮造営などがある。
田辺淳吉
おもに大正期に活躍した建築家。東京生まれ。東京帝国大学建築科卒。辰野金吾 に師事。清水組(現清水建設)の技師として、銀行・学校・邸宅などを設計し、後に独立。建築と工芸の提携、田園趣味などアーツ・アンド・クラフト運動の影響を受けた。日本女子大学成瀬記念講堂(ステンドグラスのデザイン担当)、旧高岡共立銀行(現富山銀行本店本館)、誠之堂、渋沢史料館「晩香盧」、第一銀行京都支店増築部分(元の正面の設計は辰野葛西建築設計事務所)、渋沢史料館青淵文庫などがある。
國枝博
大阪を拠点に活躍した建築家。岐阜県生まれ。東京帝国大学建築学科卒。朝鮮総督府に在任中、朝鮮総督府庁舎の設計に携わる。1919年大阪に國枝公務所を解説。作品には、旧大阪府農工銀行外装改修、旧八木通商本社ビル(現グランサンクタス淀屋橋)、兵庫農工銀行洲本支店(現淡路信用金庫須本本町支店)、滋賀県庁本館(共同設計/佐藤功一)などがある。
吉武長一
山口県防府市生まれ。ペンシルバニア工科大学で建築を学ぶ。旧村井銀行本支店や教会建築を手掛ける。「村井家のお抱え建築家」とも言われる。作品には、村井銀行七条支店(現きょうと和み館SECONDHOUSE西洞院店)、安藤記念協会、村井銀行祇園支店(現キャンディ・ショウタイム)、村井銀行五条支店(現京都中央信用金庫東五条支店)、ハリス記念鎌倉メソジスト教会(現日本基督教団聖ミカエル教会聖堂)、田園調布駅前広場などがある。
佐藤功一
早稲田大学建築学科の創始者。栃木県生まれ。東京帝国大学工学部建築学科卒。我が国の建築学会の重鎮として活躍、数多くの作品を残す。作品には、宮城県庁舎、栃木県庁舎、滋賀県庁舎、日比谷公会堂、早稲田大学大隈記念講堂の意匠設計(構造/内藤多仲、音響/佐藤武夫)、津田英語塾校舎、駒澤大学講堂などがある。
ヘンリー・キラム・マーフィー
米国の建築家。米国北東部、中国、日本において数多くの住宅、学校施設の設計を手掛ける。米国コネチカット生まれ。イェール大学卒。リチャード・ヘンリー・ダナと共同で設計事務所を開設。日本での作品には、立教大学管理棟本館・図書館休刊・第1食堂・2号館・3号館、立教学院諸聖徒礼拝堂、日本聖公会川口基督教会の基本設計(実施設計監理担当は、ウィリアム・ウィルソン)などがある。
保岡勝也
三菱の丸の内赤煉瓦オフィス街の設計を手掛けたほか、先駆的な住宅設計でも知られる建築家。東京生まれ、東京帝国大学工科建築学科卒。学長であった 辰野金吾 に師事。岩﨑久弥社長の三菱合資会社(現三菱地所)に入社。作品には、三菱合資会社長崎支店唐津出張所(現唐津市歴史民俗資料館)、岩崎弥之助深川別邸・池辺茶亭(現清澄園涼挺)、木内重四郎別邸(現市川市文化振興財団木内 ギャラリー)、第八十五銀行本店(現埼玉りそな銀行川越支店)、麻田駒之助住宅(平野家住宅)、山崎家別邸(重文、川越の老舗「亀屋」の元隠居所)、旧山吉デパート(現保刈歯科醫院)などがある。