平安時代以降の「和様」の基本は、両方とも角材を用い、「地角飛角」と変化する。只、古代の形式を採用することもあり、室町時代にもその違例はある。「地円飛角」が用いられているのは、奈良時代のものとしては、薬師寺東塔・海龍王寺五重小塔・唐招提寺金堂・室生寺五重塔など多くがそうであり、また平安時代の平等院鳳凰堂・同観音堂、室町時代の喜光寺金堂の違例がある。
因みに、「飛檐」の「檐」の訓読みは「ひさし」であり、「檐(ひさし)に飛ぶ垂木」を意味する。
平安時代以降の「和様」の基本は、両方とも角材を用い、「地角飛角」と変化する。只、古代の形式を採用することもあり、室町時代にもその違例はある。「地円飛角」が用いられているのは、奈良時代のものとしては、薬師寺東塔・海龍王寺五重小塔・唐招提寺金堂・室生寺五重塔など多くがそうであり、また平安時代の平等院鳳凰堂・同観音堂、室町時代の喜光寺金堂の違例がある。
因みに、「飛檐」の「檐」の訓読みは「ひさし」であり、「檐(ひさし)に飛ぶ垂木」を意味する。