大正12年(1923)の関東大震災後、焼け野原にはバラック(兵舎・仮設小屋の意)が建てられ、徐々に「バラック商店街」の様相を呈するようになる。なかには建築家(遠藤新・吉田五十八・レイモンド社・前田健二郎 など)によってデザインされた表情豊かなものも含まれていた。
その後、復興が進むなか、大通りは鉄筋コンクリート造のアールデコ風の商店が建てられたが、その周辺部の中小規模クラスの商店は、かつての伝統的町屋に代わる、洋風の ファサード を「取ってつけた」かのような外観を持つ、店舗併用の都市型住宅を造っていった。そのほとんどは木造で、建物の前面に衝立を置いたような看板を兼ねた外壁を持ち、自由な造形がなされている。「看板建築」という名称は、後の研究者が付けたもので、大正末期頃には「街路建築」という用語が使われていた。
看板建築
(かんばんけんちく)
西洋建築の様式・思潮
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