神宮寺

(じんぐうじ)

明治維新の神仏分離以前、日本の宗教観は神仏混淆の状態にあった。同一境内に、お寺では「鎮守社」を、神社では「神宮寺」が祀られていることが常態であった。渡来する宗教を、多くの人々は取捨選択することなく受け入れ続け、まもり育ててきたことは、世界的に見て極めてまれなことと言われる。但し、「耶蘇教(キリスト教)」に対してだけは、少しく微妙な距離感を保って付き合っているようにも見える。
余談である。倉本聰の脚本による「道」というテレビドラマがあった。甲府の片田舎の大晦日から元旦までの庶民の行事をつづったシーンがとても印象に残った。先ず、「お寺さん」で除夜の鐘をつき、その後「先祖のお墓参り」をし、「鎮守社」で初詣を済ませてから、家近くの「庚申堂」にお参りをするといった流れであったかと思う。「仏教」・「祖先崇拝」・「神道」・「庚申信仰(道教)」が、何ら違和感なく一体化しているのが、日本人の一般的な民衆の信仰心であり、彼らにとっての掛け替えのない文化であったことは、まぎれもない事実である。日本人にとって、「宗教心」と「信仰心」とは別物であるのかもしれない。
「神宮寺」の発祥の地は、一説によると「宇佐八幡宮」であると言われている。現在は廃寺となり跡地が遺るのみであるが、かつて壮大な「宇佐弥勒寺」と呼ばれる「神宮寺」が、飛鳥・奈良時代の昔から延々と、八幡宮境内に存在していたのである。「宇佐八幡宮」の正式名称は、「宇佐八幡宮弥勒寺」であったが、神仏分離後に廃寺となり、比較的早い段階で分離を終了した。しかし、楼閣のみは戦前まで残っていたそうである。
因みに、「石清水八幡宮」も元は「石清水八幡宮護国寺」であった。また「住吉大社」にも、かつては、東西二基の「大塔多宝塔)」を持つ「神宮寺」があったが、神仏分離後、一基は破却され、残る一基は、徳島の「切幡寺」に移築され現存している。さらに、あまり知られていないだろうが、「伊勢神宮」にも「朝熊山金剛證寺」という歴とした「神宮寺」がある。
永い過去、連綿として続いた日本の宗教文化が、ある時代の、ある一部の集団の恣意的なミスリードがきっかけとなり歪められてしまったことに対して、遺憾に感じるのは、私だけではないだろうと信じたい。