内陣

(ないじん)
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金堂」・「本堂」建築の平面構成の大まかな変遷を述べておく。
先ず、法隆寺金堂は、内部に礼拝空間を持たず、礼拝者は内部に立ち入らないことが基本であった。南庭に据えられた「礼拝石」や「回廊」で仏事が行われていたものと考えられる。
それが、唐招提寺金堂のように、いわゆる「外陣」と呼ばれる吹き放しの「」空間で行われるようになる。これが第一段階のステップである。
次に、それでも手狭であるし、屋外空間であることの不便から、礼拝空間が「母屋身舎)」の内に入り込んでいくようになる。その結果、「内陣」の機能が「北庇」の空間に移動し、「北孫庇」の空間が「後陣」と呼ばれるようになる。
さらに、礼拝人数の増加に伴い「外陣」を充実させるため、徐々にその奥行きが深くなり、また「内陣」においても儀式の多様化に合わせて「内々陣」を設けるなど、平面構成がより複雑なものに変化していくのである。