教科書的には、仏教伝来とともに、中国の唐を中心とする建築様式が日本に移入され始めてから、日本で国風化されていく過程も含め、総じて「和様」と呼ばれることが一般的ではある。しかし、飛鳥や奈良の建築様式には、平安以降の「和様」の典型とは明らかに異なる形式が多く見て取れるため、「飛鳥・奈良様式」として別立てした方が、誤解も少なく、理解もすすむものと考えられる。
例えば、法隆寺・法起寺に見られる「雲斗・雲肘木」は、その源流を漢代の「二斗」に由来するともいわれ極めて特殊である。
また、「二軒」における「地円飛角(じえんひかく)」すなわち、「地垂木」を円材、「飛檐垂木(ひえんだるき)」を角材にといった渡来形式が、平安時代には「地角飛角」と変化し、それが「和様」の基本となる。さらに、平安時代の「和様」に見られる構造体としての横架材である「長押」は、飛鳥・奈良様式にあっては設けられず、堂宇の出入り口の「楣(まぐさ)」に類似のものがみられるのみである。
飛鳥・奈良様式
(あすか・ならようしき)
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