「多重塔」は、「三重塔」や「五重塔」に代表される。基本、平面は四角形(多角形もある)の空間を奇数数に重ねたものであり、その源流は中国の「楼閣」と考えられている。
「塔」の中心に「心柱」を据え、「四天柱」を配置し、頂部に「相輪」と呼ばれる「小塔」を取り付ける。「塔」の「心柱」は、法隆寺の五重塔では地中2mほどの「礎石」に置く「掘立て式」で、平安時代に入ると「礎石」を地表に置く「石場建て式」となる。鎌倉時代以降は、最上階から第二層までとすることが多くなり、木津の海住山寺の五重塔が最古の例である。江戸時代には「心柱」を上から吊り下げる「懸垂」の構造をとるものも登場する。
いずれにしても、「心柱」自体に荷重の掛からない構造となっていることがミソであるともいわれ、過去、落雷・火災・風災の他、地震によって倒壊した「塔」はないといわれている。
因みに、現存しないが、奈良の東大寺の「七重塔」は約100m、足利義満の相国寺の「七重塔」は約110m、そして白河上皇の法勝寺の「八角九重塔」は約250mとも伝わるが、その信憑性は低く、実際には約80mであったらしい。以上、三基とも焼失であるが、太平洋戦争の空襲で焼失後に再建された四天王寺の五重塔は、室戸台風で倒壊しており、唯一の風災の例であるらしい。(室生寺の五重塔のように、倒木による中破という例もある)
通常「塔」の造形は、上層になるにつれ軒の出幅や塔身が順に小さくなる。これを「逓減(ていげん)」といい、初層に対する最上層の幅の割合のことを「逓減率」という。「率0.5」では重厚な安定感のある姿となり、「率0.6~0.7」だとすらりと背が高く見え、「率0.7~」になると、やや重厚さの勝った、遠目には然程であるが近づくと圧迫感を感じさせる姿に映るようである。
「逓減率」の高い順に列記すると、法隆寺0.50、室生寺0.59、醍醐寺0.62、瑠璃光寺0.68、興福寺0.69、海住山寺0.74、東寺0.75となる。因みに、日本三大名塔は、法隆寺・醍醐寺・瑠璃光寺の五重塔である。
五重塔の「雛形(模型)」として造られた、国宝にも指定されている二基の「小塔」がある。「元興寺極楽坊五重小塔」と「海龍王寺五重小塔」であり、ともに一見の価値が高い。両者を見て特徴的なのは、その屋根勾配にあり、最上層までも極めて緩い勾配であり、古代の「塔」の姿がよく偲ばれる点にある。後世の修復により、徐々に「塔」の屋根が急勾配化していく理由は、見栄えというよりは、単純に雨仕舞上の問題であったのではないだろうか。
尚、「山地伽藍」における「多重塔」のスケール(縮尺)について触れておく。画像で見るだけでは判らないが、明らかに寺域・境内の広大さを錯覚させるように意図し、縮小したスケールで建てられている。(木材使用量の節約という穿った見方もあるが)要するに、人は、脳に刷り込まれた「塔」のスケール感(記憶)に置き換えて、そのものとの距離を感じてしまうのである。長谷寺の五重塔や清水寺の三重塔などは、まさにそうである。(実際には、大層小ぶりに造られている。)
また、室生寺の五重塔の場合は手が込んでいて、石段上に、軒裏に仕掛けられた、胡粉で塗られた「裏甲」のラインの重なりを見上げるように設定されていて、距離感の錯覚から、一見とても巨大な塔に感じるよう工夫してデザインされている。(何という「デザイン力」であろうかと驚き入る)石段をさらに昇った、塔を見下げる位置からの画像をみて、室生寺のそれとわかる人は、おそらく稀有であろう。(記憶のスケール感との違いに愕然とする筈である)
余談である。藤森照信著「日本木造遺産」で、山口の瑠璃光寺の五重塔(国宝・日本三大名塔の一)を称して「世界で一番『樹』に近い塔」と記されている。けだし名言というべきであろう。その秘密は、「勾欄」をもたないところにある。
多重塔
(たじゅうとう)
« Back to Glossary Index