山田守

(やなだまもる、1894~1966)
建築家
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逓信建築の先駆者の一人で、分離派建築会 の構成員でもある。関東大震災後の復興橋梁のデザインも手掛ける。滑らかな曲線への拘りにドイツ 表現主義 の影響が色濃く見られる。岐阜県羽島市生まれ。東京帝国大学建築学科卒後、逓信省入省。因みに、晩年の作品である京都タワーは、「東寺の塔よりも高いものは建てない」という不文律から、古都景観を乱すとの批判を受けたことで有名。作品には、旧文字郵便局電話課(現NTT門司電話通信レトロ館)、東京中央電信局(初期の傑作、現存せず)、永代橋・聖橋・萬代橋、旧千住郵便局電話事務室(現NTT東日本千住ビル)、旧広島逓信診療所(現広島逓信病院外来棟被爆資料館)、旧山田守自邸(現蔦サロン・珈琲店)、社会保険横浜中央病院、大和郡山市庁舎、東海大学代々木校舎・湘南キャンパスなど一連の建築、日本武道館、京都タワービルなどがある。