分離派建築会

(ぶんりはけんちくかい)
西洋建築の様式・思潮
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大正9年(1920)に東京帝国大学建築学科を卒業した6人が結成したグループで、その活動は日本で初めての近代建築運動とされる。彼らは自分たちの理想の建築像を、百貨店などでの展覧会と出版物によって、一般公開のかたちで主張した。標語は「我々は起つ」。
設立者は、石本喜久治、瀧澤眞弓、堀口捨己森田慶一山田守、矢田茂。後に、山口文象蔵田周忠、大内秀一郎が追加加入する。当時の東京帝大建築学科では、佐野利器 が中心となり、耐震構造など建築の工学面を強調、また5期上の 野田俊彦 が「建築非芸術論」を発表している。こうした工学偏重の動きに対して、分離派建築会は建築の芸術性を主張した。「分離派」の名称は、伊東忠太 の建築史講義で「ウィーン分離派」の話を聞き感激したことから名付けられたと言われる。