富田林おすすめコース(文化財)
大阪市内から近鉄電車で約30分の富田林で、たくさんの文化財を気軽に観て感じることができます。住居やお寺など、文化財をめぐる街歩きのおすすめコースをご紹介します。
■所要時間:約3時間
■アクセス:近鉄長野線 富田林駅 徒歩5分
- 旧田中家住宅主屋
旧田中家住宅主屋は、道路から後退して南面するつし二階建町家で、東面切妻造、西面 入母屋造、桟瓦葺とする。東側の 土間 の入口廻りを黒漆喰塗として竪板張とする。西側は整型四間取で前面に出格子を設け、座敷飾や 欄間 の意匠も洗練されている。富田林の町家の特徴を示す近代住宅。 乾蔵は、主屋座敷部の後方、小路沿いに南北棟で建つ土蔵。桁行四・九メートル梁間四メートル、土蔵造 二階建、切妻造桟瓦葺である。外壁は、小路側や軒廻りは漆喰で塗込めるが、それ以外は真壁とし、一階部分は竪板張とする。二階を座敷とするなど特異な形式の土蔵。
- 中内眼科医院
富田林重伝建地区に近い堺町筋の角地に建つ。当初,国分銀行の本社屋として建設。RC造3階建で,隅部に玄関を設ける。1階壁面に大型の 半円アーチ 窓,2階に半円錐窓台付の上げ下げ窓を配す。町屋建築が多いこの地域で,近代的景観を際だたせている。
- 興正寺別院
当別院は、富田林寺内町の中心的寺院である。永禄3年(1560)に証秀上人によって建立され、本堂・客殿・庫裏・鐘楼・鼓楼を配し、城之門筋側に山門が位置している。山門は、伏見城から旧天満別院を経ての再移築とされていたが、平成24年(2012)の調査により、伏見城から京都の興正寺北門として移築され、安政4年(1857)に当別院に再移築されたことが判明した。柱間7間四方に4面の庇が回る現本堂は寛永15年(1638)の再建、庫裏は文化7年(1810)の再建で、同時に鐘楼・鼓楼も冤罪地に移された。なお、本堂は寛永期の貴重な遺構として、平成26年諸施設とともに重文に指定された。
- 仲村家住宅
当家は、富筋の南端近くの1区画の半分以上を占める大店である。主屋は表屋造りで、北側に土蔵・乾蔵(道具蔵)・米蔵・醤油漬物蔵などが残されている。主屋の建築年代は、普請帳によると天明2~3年(1782~83)であり、主屋の南に続く3室の別座敷や、主屋西側の店部分も同時期の建築で、近世の屋敷構えがわかる遺構である。主屋の切妻屋根の通気口や丸瓦には当家の家紋「三階菱」と「蔓柏」があしらわれている。また幾つもの棟を組み合わせた座敷の屋根は、八棟造りと呼ばれている。なお当家には吉田松陰や頼山陽も訪れたという。
- 旧杉山家住宅
当家は、富田林寺内町造営の中心であった八人衆の筆頭年寄の家柄である。当初は屋号の「わたや」から木綿問屋であったと思われるが、貞享2年(1685)に酒造株を取得してからは造り酒屋として発展し、河内酒造業の肝いり役を務めた大商家である。また明治の明星派の歌人石上露子(いそのかみつゆこ)の生家でもある。町家でありながら、農家に類似した平面構成をもつことが特色で、寺内町最古・最大の規模を誇る。座敷も美麗で、質的にもすぐれた町家建築として貴重な遺構である。敷地は1区画(1000坪、現在は430坪)を占め、主屋をはじめ土蔵・釜屋、酒蔵など10数棟が建てられていたといわれる。