拭板敷

(ぬぐいいたじき、しきいたじき)
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日本の建築は素木(しらき)が中心で、その仕上げの美しさは昔から日本人に好まれてきた。脱靴して、素足でその上を歩行し、足裏の感覚を鋭敏なものとしてきた。(脱靴をしない欧米の文化とは大きな違いがある。)木の表面を平らかなものとすることは、ことの外大切なこととされたと思われる。
古代では、一般に「手斧(ちょうな)はつり」のままのところが多いが、柱や床など見え掛かりに使われる造作材は、それに木の葉のような格好の「槍鉋(やりがんな)」で、労力を惜しまず、押したり引いたりして丁寧に仕上げている。「拭板敷」の「拭い」の称には、そんな工人たちの思いが込められているようにも感じられるのである。
「床」仕上げにつて若干述べておく。
奈良時代以前の仏堂では、基本的に、内部は「床」を張らず主に「石敷」で、敷き方は「布敷」であったようである。例外はあり、「法隆寺東院伝法堂」や「東大寺法華堂(三月堂)」は「拭板敷」である。「床」を張り、「縁」を付けることは、平安時代以降に流行する。
「床」を張らぬ形式と、高く「床」を張る形式の中間的なものとして、平安時代の「室生寺金堂」や「平等院鳳凰堂」の例がある。すなわち石壇上に建っているが、
内部に入ると木製の「床」があり、「拭板敷」となっている。「敷」としているように、「床」は極めて低く「石敷」の代わりに「転根太(ころばしねだ)」の上に「拭板」を敷いた程度のものである。
鎌倉時代に入ってきた「禅宗様」では、再び石壇上に建てて「床」を張らない形式を採用し、「敷瓦(甎/せん)」を「四半敷(しはんじき)」に敷く。すなわち鎌降時代以降では、「和様」は「拭板敷」、「禅宗様」は「四半敷」で、「大仏様」や「折衷様」では「床」を張っている。