日本の「和様」では、下から見える化粧材としての軒天と、その上に見えていない「野物(のもの)」と呼ばれる構造材とが、平安時代末期ごろに分離して、それぞれ別々に構成されるようになる。すなわち、その後、屋根構造は極めて自由な発達を遂げて現在に及んでいる。屋根廻りに関して、「大仏様」「禅宗様」は、ともに室内外とも現わしであるから、「構造、即意匠」のデザインであるが、「和様」は「構造は構造、意匠は意匠」の考え方が主流なのである。
それを可能としたのは、紛れもなく「桔木構造」の発見にある。おそらく「尾垂木」の構造的自在性から暗示を得たものといわれているが、小屋裏に「桔木」を仕込むことで、軒天の意匠が自由になった。只、「桔木」を軒裏内部に組み込むために、必然的に、屋根の下の「野垂木」の勾配と、軒裏の「化粧垂木」の勾配は異ならざるを得なくなる。その反面、後者の勾配は緩くなり、軽快な軒を作ることができるようになる。
「桔木構造」という構造上の変化は、建物の外形にも大きな変化をもたらす。「桔木」を組み込むためには、小屋裏の「懐(ふところ)」が必要となり、すなわち屋根の勾配が急となる結果をもたらした。近世の建物が、海外の人たちから「屋根ばかりの建築」と揶揄されるようになった原因がそこにある。
桔木
(はねぎ)
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