井上家は、織田信長政権の下、和泉の武士を代表する立場にあった
綾井城主沼間任世に仕えた清水長七郎雅量を遠祖とする。綾井城
廃絶後は帰農し、江戸時代には市場村庄屋を勤めた。居室部を茅葺
とする長大な間口の主屋、別棟の式台構えの玄関、茶室、蔵、馬に乗って通れる高い長屋門など、広い敷地に建つ建物群は、外観、屋敷内部の構成ともに格式高い伝統的民家形式を良く伝える。江戸後期に位置づけうるが、主屋土間廻りは、梁組・大和天井の部材、入口上に冠木を渡す構成などに古式を窺わせる。当地の西約50mにある城蹟山専称寺の地が綾井城跡になる。 |