豪商の本宅。通りに北面する木造平屋建で、桁行5間、梁間4間半の表に庇が付く。切妻屋根は本瓦葺、外壁は土壁で腰を縦羽目板張とする。東妻に式台玄関と内玄関を設け、中廊下を挟んで出格子窓のある格子の間、座敷など4室を配す。南背面に台所と座敷が付く。当家は、平野七名家の一つとして朱印船貿易にも携わり、幕府代官への就任や柏原船の運航を行うなど幅広く活躍した。主屋は富士山噴火の前に建設されたと伝えられ、宝永4年(1707)頃とされる。主屋の他、蔵、門,塀の3棟が登録されているが、全て江戸中期の建築である。末吉家の屋敷構えは平野郷の歴史的景観の一部を蘇らせるものであり貴重である。 |