constructivism。第一次世界大戦後、ソヴィエトで興った革新的な芸術運動。C.マレーヴィチによって始められた「シュプレマティスム」を基盤としながら、更に技術時代の諸条件に適合する美術文化を展開させようとしたもの。
V.タトーリンによる第3インターナショナル記念塔の計画(1920)は、その重要な作例であり、A.ぺヴスナーとN.ガボによって宣言として発表された。この運動は、革命後の生産や実生活との係わりの要求に応えるものであったが、やがて造形理念と政治性との結合に関して分裂をきたし、1930年頃には形式主義として批判され、解消に追い込まれる。欧州の近代運動(デ・ステイル、バウハウス)に大きな影響を与えることになり、現代の抽象芸術の中にも根強く生き続けている。
シュプレマティスム
suprēmatisme。絶対主義。1913年、ロシアのC.マレーヴィチによって唱えられた主義。絵画から文学的・記述的要素を排除して、純粋で絶対的な感情を表現しようとするもの。この抽象美術への動向は、やがて「構成主義」の展開に大きな影響をあたえることとなり、それとともに建築やデザインの領域との係わりも強まることとなる。
ダルムシュタット・ゼツェッシオン
Darmstadter Sezession。「ウィーン・ゼツェッシオン」に次いで独国のダルムシュタットに興された芸術革新運動。ヘッセン大公E.ルートヴィヒが、英国の近代運動に刺激されて、ダルムシュタットに芸術村を造ろうとしたのに始まる。
1899年、J.M.オルブリヒ、P.ベーレンスら建築化・画家・彫刻家・工芸家が招かれ、展示館及び住宅の建設にあたった。1901年に第一回展が開かれ、1908年には有名な大公成婚記念踏と展示場が竣工した。
ウィーン・ゼツェッシオン
Wiener Sezession。1897年、オーストリアのウィーンに興された芸術革新運動。画家のG.クリムト及びO.ヴァーグナーの弟子J.M.オルブリヒ、J.ホフマンらがその中心。
彼らは、英国のグラスゴーのグループ、特にC.R.マッキントッシュや独国の「ユーゲントシュティール」の影響をもとに、師ヴァーグナー(1906、ウィーン郵便貯金局)の即物的な考えを推進して、形式的には直線・直角・方形・円などの幾何学的形態を実現する傾向を示した。オルブリヒ設計のゼツェッション館(1898)は、そうした様式意志を示す一例。
ゼツェッシオン
Sezession。分離派。英語系では「セセッション」と呼ぶ。19世紀末から20世紀初頭にかけて、ドイツ・オーストリアに興った芸術の革新運動で、その主な活動領域は建築と工芸。
その重要な中心地は、ミュンヘン・ベルリン・ダルムシュタット・ウィーンなどで、それぞれの地域により、結成の時期も運動の内容も幾分異なっているが、いずれにせよ、この運動は「アールヌーヴォー」ないし「ユーゲントシュティール」の影響を受けながら、これを更に20世紀的なものへと推し進めようとしたものと見られる。
表現主義
Expressionism。美術のおいては、特に第一次世界大戦前の独国を中心に展開した近代美術の一傾向を指す。1905年に、ドレスデンでE.ケッヘル、E.L.キルヒナーらによって組織された「ブリュッケ」、1911年にミュンヘンでW.カンディンスキー、F.マルクらによって結成された「デア・ブライエ・ライター」のグループが、この運動の中心になった。
作品の傾向は一様ではないが、一般に主観的傾向を強め、生命の表出としての芸術を主張することを特色とする。建築における表現主義は、建築という性格上、当然、絵画や文芸の場合ほどその理念も表現も明瞭ではない。また大戦前後に活躍した建築家の多くは、一時期この動向を通過したともいえる。例えば、P.ベーレンス、W.グロピウスその他。大戦前では、H.ペルツィッヒとM.ベルクがこの傾向を代表する建築家として知られているが、戦後は、政情不安に基づく人生観の影響の故に、表現主義の建築は、一層多様に展開した。E.メンデルゾーン設計のポツダムのアインシュタイン塔(1920)、H.ペルツィッヒ設計のベルリンの大劇場(1919)などが、流動的な造形として有名。一方、人智学の創始者R.シュタイナーによるドルナッハのゲーテアヌムは、彼の精神主義的運動の具体的表現として注目される。一般に、表現主義の動向は、1930年代のナチスの台頭とともに解消されたが、具実文明の成熟してきた今日、再びこの主義の基本姿勢が検討されている。
アールデコ様式
Art Dēco。1925年に開催された「パリ万国装飾美術博覧会」を契機にして流行した様式。一般に、「アールヌーヴォー」の時代に続き、欧州および米国のニューヨークを中心に1910年代中葉から1930年代にかけて流行・発展した装飾の一傾向で原義は「装飾美術」。幾何学的図形をモティーフにした記号的表現や、原色による対比表現などの特徴を持つが、その装飾の度合いやようしきは多様である。
「キュビズム」「バウハウス」のスタイル、当時発掘が相次いだ古代エジプトの装飾模様、アステカ文化の装飾、日本や中国など東洋美術など、古今東西からのさまざまな引用や混合が指摘されている。世紀末のアールヌーヴォーは、植物などを思わせる曲線を多用した有機的なデザインであったが、自動車・飛行機や各種の工業製品、近代的都市生活といったものが生まれた時代への移り変わりに伴い、進歩した文明の象徴である機械を思わせる、装飾を排除した機能的・実用的なフォルムが新時代の美意識として様式化した。アールデコは、装飾を排除し規格化された形態を重視する機能的モダニズムの論理に合わないことから、流行が去ると過去の悪趣味な装飾と捉えられる。従来の美術史「・デザイン史では全く評価されることはなかったが、1966年にパリで開催された「25年代展」以降、モダンデザイン批判・ポストモダニズムの流れの中で、再評価が進められてきた。アールデコ建築としては、1930年代のニューヨークの摩天楼(クライスラービル・エンパイアステートビル・ロックフェラーセンターなど)が有名である。
シングル様式
shingle style。米国の東部において、南北戦争後の19世紀後
半、アカデミズム建築に対抗して、中規模住宅に独自の新機軸が打ち
出される。壁から屋根まで、すべて杉材のシングル(木製タイル・木
瓦)を使って葺きあげてしまうことが流行する。この構法による様式
を「シングルスタイル」と呼ぶ。H.H.リチャードソンのストートン邸
(1883)はそのお代表例。
アメリカンルネサンス
American Renaissance。19世紀後半から20世紀初頭にかけて、米国の公共建築で多く見られた建築様式で、仏国のエコール・デ・ボザールで学んだ米国人建築家が中心的な役割を果たしたことから「アメリカンボザール(American Beaux-arts)」とも呼ばれる。
その特徴は、欧州古典主義の復興様式に倣った荘厳かつ装飾的な建築であることや、欧州本家のそれと較べ建築の規模の大きさにある。代表例は、マッキム・ミード&ホワイト社が手掛けたボストン公共図書館やマンハッタン市庁舎、リード&ステムとワレン&ウェットの二社の共同設計であるニューヨークのグランド・セントラル駅舎が挙げられる。その影響を受けた日本の建築家には、横河民輔・野口孫市・岡田信一郎・渡邊節・村野藤吾 らがいるが、日本の作品は窓周りやアーチの取合いなどの細部意匠が、米国のそれと較べ緻密に抑えられているともいわれる。この様式は、形式美や統一感を重視したため、その思想は都市計画にも応用され、都市美運動にもつながっていった。
また、公共建築だけでなく個人宅にも採用され、ロードアイランド州ニューポートには、この様式の別荘群(アパート)が多数保存されている。尚、20世紀中葉には、F.L.ライトの系譜を継ぐモダニズム様式が主流となり、古典的な様式は時代遅れと見做されるようになる。
ユーゲントシュティール
Jugendstil。「アールヌーヴォー」のドイツ・オーストラリアにおける呼び名。1896年、ミュンヘンで発刊された雑誌「ユーゲント」に因む名称。