当家は、富筋の南端近くの1区画の半分以上を占める大店である。主屋は表屋造りで、北側に土蔵・乾蔵(道具蔵)・米蔵・醤油漬物蔵などが残されている。主屋の建築年代は、普請帳によると天明2~3年(1782~83)であり、主屋の南に続く3室の別座敷や、主屋西側の店部分も同時期の建築で、近世の屋敷構えがわかる遺構である。主屋の切妻屋根の通気口や丸瓦には当家の家紋「三階菱」と「蔓柏」があしらわれている。また幾つもの棟を組み合わせた座敷の屋根は、八棟造りと呼ばれている。なお当家には吉田松陰や頼山陽も訪れたという。 |