当拝殿は、昭和4年(1925)国費によって建て替えられた。設計者は内務省技師角南隆である。低い基壇上に建てられた入母屋造り・銅板葺の社殿は、周辺の森の景観とも融合し、雄大で落ち着いた雰囲気を漂わせている。軒は一軒で垂木は疎ら割り、向拝中央部の虹梁には菊花をあしらった蟇股、組物は舟肘木と軽やかな意匠でまとめられ、拳鼻系の木鼻に独自の意匠が見られる。小屋裏は、中央部を化粧屋根裏、両脇間の上部に格天井が張られている。角南は、大正4年(1915)東京帝国大学建築学科を卒業後、内務省神社局などに勤務し、長田神社(兵庫県、昭和3年)、三嶋大社(静岡県、昭和6年)など、多くの神社の設計に関与した。 |