山川草膳 久右衛門(旧中村家住宅)和歌山県との県境の紀見峠に程近い天見にある旧庄屋屋敷。江戸時代後期建築の 主屋は、茅葺(鉄板仮葺)大和棟で、広い土間と整形四間取、突き止め溝等、古式がよく確認できる。明治30年代建築の西座敷には、銘木がふんだ んに使用されており、中村家が山林業を営んだ歴史を伝える。書斎及び渡廊下は、内部は近代和風で、外観は屋敷外郭を形成しており… 特別史跡百済寺跡 8世紀中頃、百済王族の後裔、百済王(くだらのこにきし)敬福は、聖武天皇の東大寺大仏鋳造に際し、陸奥国で採れた金を鍍金用として献上した功により、河内守に任ぜられ、一族は中宮の地に住み、氏寺として百済寺を建立したとされる。約140m四方の寺域に、主要堂塔である中門・金堂・講堂・食堂が南北に並び東西に塔を配置された… 片埜神社 欽明天皇の時代に「片野神社」の社号を賜った延喜式内社。平安時代後期には「一宮(いちのみや)」と改め、明治時代に社号を「片埜神社」に復する。兵火に罹り、荒廃と再建を繰り返したが、天正11年(1583)に秀吉が大坂城鬼門鎮護の社と定めて尊崇、修築した。慶長7年(1602)に秀頼が片桐且元を総奉行として本殿を再建。… 浜街道の歴史的建造物群と南溟寺 紀州街道の海側に平行して通る通称「浜街道」は、江戸時代後期以降の各時代の町家建築が多く残され、歴史的街道として泉大津市の貴重な文化資産となっている。この地は南溟寺を中心とした寺内町として発展したものとみられる。浜街道周辺は泉大津市の毛布産業の発祥の地であり、江戸時代から漁業のかたわら真田紐を生産し、江戸時代後… 池上曽根遺跡 和泉市池上町から泉大津市曽根町に広がる、南北1.5km、東西0.6km、総面積60万㎡もの規模をもつ弥生時代の遺跡。直径300mにおよぶ環濠により囲繞されていた。1995年に集落の中心部で弥生時代最大級の建物跡と井戸が発見された。1999年には大型掘立柱建物跡の近くで発掘された絵画土器を参考に、切妻屋根と独立… 枚方市立旧田中家鋳物民俗資料館 古くから枚方上之町で鋳物業を営み、江戸時代は河内国左右惣官鋳物師として河内の鋳物師を統率。昭和35年頃に廃業。主屋と鋳物工場を藤阪天神町に移築復原。元文4年(1739)の祈祷札がある主屋は桁行8間、梁間4間半、木造つし2階建切妻造。防火を兼ねて当初から本瓦葺であった点が近隣の民家と異なる。瓦葺という事もあり木… 林昌寺「法林の庭」 行基開山とされる真言宗の古刹。創建当時から威容を誇っていた大伽藍は、織田信長南逆征討の折に焼失し、現在の諸堂宇は、江戸時代初期から中期にかけて建立されたものである。昭和36年、重森三玲作の「法林の庭」は、林昌寺が阪和西国第28番札所であるところから、和歌山産の青石28個で構成、中央には本尊石を置き、全体で極楽… 春日神社(津田) 創建年代不明の産土社。嘉吉2年(1442)春日四神を勧請、中世以降の宮座が残る。本社本殿は一間社春日造檜皮葺の春日大社旧本殿を移築した「春日移し」、末社若宮八幡宮本殿は三間社流造檜皮葺、春日大社末社三十八所神社本殿の「三十八所移し」。明和3年(1766)の式年造替で建立されたものを天明6年(1786)に移築。… 春日大社南郷目代今西氏屋敷 寿永2年(1183)に摂政藤原氏長者近衛基通が春日社へ寄進した荘園垂水西牧榎坂郷に、奈良の南郷から今西氏が目代(荘官)として下向。宝永8年(1711)建築の入母屋造平入の主屋を中心に土蔵・長屋門等が配され、延享3年(1746)に奈良春日若宮神社を遷した南郷春日神社本殿が残る荘官屋敷と今西家文書は中世荘園の歴史… 日本民家集落博物館 日本民家集落博物館は、豊中市の服部緑地にあり、日本各地の代表的な民家を移築復元し、関連民具と合わせて展示する日本最初の野外博物館として昭和31年(1956年)に開館した。北は岩手・南部の曲家から南は鹿児島・奄美大島の高倉まで、懐かしい日本の風景を展示保存する。各民家は江戸時代の建築で、地方固有の風土・習慣から… 市立枚方宿鍵屋資料館 枚方宿にあり京街道と淀川の両方に接する。江戸時代には宿屋を営み、幕末頃になると淀川三十石船の「船待ちの宿」としても繁盛した。平成9年まで料理旅館を営み、平成11~13年に解体復原、。文化8年(1811)建築の主屋は、木造つし2階建切妻造桟瓦葺2棟で構成。西棟は桁行3間、東棟は桁行5間、梁間6間で正面に4枚の摺… 天野山金剛寺 大玄関他11件 天野山金剛寺は奈良時代に僧行基が開基し、平安時代後期 に阿観上人によって再興された。境内は主要伽藍を取り巻く ように100余りの子院が配置されていた。子院の大部分は 江戸時代から明治時代にかけて廃止、統合されたが、本坊周辺では 築地塀 や一部の残された建物は改築されたりして現在 も使われている。また、新たに大… 天神社 滝畑七ヵ村の氏神で、元は大梵天王社と称されていた。本殿は三間社流造、梁間2間、極彩色が施され、屋根は檜皮葺であったが現在は銅板葺。正面中央間に軒唐破風を飾り、本棟に千木・勝男木を置く。興国6年(1345)の棟札が残されているが、現在の本殿は江戸時代前期の慶長・元和頃の再建。本殿と境内の木製灯篭(江戸時代末期 … 大阪歯科大学 牧野学舎本館 明治44年(1911)に大阪市内で大阪歯科医学校として創設。大正6年には大阪歯科医学専門学校、昭和22年に旧制、同27年に新制大阪歯科大学となる。昭和4年に鉄筋コンクリート造の牧野学舎本館が竣工。左右に翼部を張り出し、中央部をひときわ高くして塔屋に校章を飾る。当初は2階建であった中央棟の正面両脇は、昭和29年… 大阪大学総合学術博物館(待兼山修学館) 昭和6年(1931)に大阪帝国大学医学部附属病院石橋分院本館として竣工。鉄筋コンクリート造3階 建、正面約80m規模で対称形の平面をとる。外観は、縦⾧窓を規則的に配し、窓台を連続させ、庇 をまわして水平線を強調する。昭和42年から医療技術短期大学部本館などとして利用し、平成19年 に総合学術博物館として開館。… 大阪城天守閣 大阪城は戦国時代の大坂本願寺(石山本願寺)を前身とし、織田信長と戦った石山合戦、豊臣秀吉による築城、大坂の陣による落城、徳川幕府による再築、明治維新の動乱による焼失と、日本の歴史とつねに深いかかわりを持ちながら現在に至っている。石垣や堀、大手門・多聞櫓・千貫櫓などといった古建造物はすべて徳川時代以後のもので、… 地蔵寺 真言宗御室派。創建年代は不詳。元禄4年(1691)に名僧蓮体によって再建、本堂は享保5年(1720)に建られた三間四方の宝形造で元は茅葺。現在は正面一間の向拝が付き桟瓦葺。建物は蓮体に帰依した四国の豪商坂上羨鳥の寄付。客殿は正徳5年(1715)に現在の姿になり、桁行6間半、梁間3間半の茅葺で、現在は桟瓦葺。昭… 嘉祥神社 江戸時代初期の建立で桃山建築様式をよく伝えている本殿は、昭和51年に大阪府指定有形文化財に指定。一間社流造、千鳥破風、軒唐破風付きで彫刻が施され彩色されていた。屋根は銅板葺きだが、元は桧皮葺きであった。本殿の建築様式や、破損した元和3(1617)年12月銘の石灯籠や現存する正保4(1647)年8月銘の石鳥居な… 厳島神社 末社春日神社本殿 創建年代不明。尊延寺地区のほぼ中央のやや小高い丘に位置し、市杵島姫命を祀る鎮守社。平安時代末期から鎌倉時代には創立していたようである。厳島神社本殿は、文久3年(1863)の春日大社式年造替に際して旧本殿を譲り受けた「春日移し」。重要文化財の末社春日神社本殿は元の厳島神社本殿を移築したもの。建築様式から室町時代… Load More