適塾適塾は蘭方医緒方洪庵(1810-1863)が1838(天保9)年に開いた塾で、ここでは西洋医学の研究をはじめとして、種痘事業やコレラ治療など、大きな医学史上の業績が生まれた。現存する適塾は、敷地は間口約12m、奥行約40m、表屋造りの町家で、1845(弘化2)年に洪庵が天王寺屋より購入し、拡張した建物。 表屋は1階を教室、2階を… 鴻池新田会所 鴻池新田は、豪商・鴻池家三代目の善右衛門宗利が広大な新開池の跡地を開発したもので、宝永2年(1705)に開発工事が開始され、大和川付替え工事でできた新田の中でも最大の面積を誇る。管理を行う事務所として、宝永3年から現在の会所の建設が始まり、翌年に完成。濠をめぐらした台形状の敷地は1万㎡を超え、国指定史跡。本屋… 鉄炮鍛冶屋敷(堺市立町家歴史館 井上関右衛門家住宅) 井上関右衛門家住宅は、全国で唯一のこる江戸時代の鉄炮鍛冶の作業場兼住居として堺市の有形文化財に指定され、「鉄炮鍛冶屋敷」として公開。元禄2年(1689年)『堺大絵図』にも同地で記載がみられる。明治時代以降は、鉄炮の製造・販売のほかにも、弾薬・火薬類の販売や小物金属製品の製造、醤油製造なども手がけるようになった… 針中野中野鍼 平安時代の延暦(782年~805年)の頃に設立された「中野降天鍼療院(ナカノアマクダルハリヤ)」がその屋号で、平安時代から一子相伝を守り、現在に至る。弘法大師が布教の途上に宿を借り、当時最も進歩した鍼術とつぼを示す「遂穴偶像」 (大人と小人の丈1m弱の木像)と金針を授与されたと伝わる。大正時代に41代目が大阪… 適塾 適塾は蘭方医緒方洪庵(1810-1863)が1838(天保9)年に開いた塾で、ここでは西洋医学の研究をはじめとして、種痘事業やコレラ治療など、大きな医学史上の業績が生まれた。現存する適塾は、敷地は間口約12m、奥行約40m、表屋造りの町家で、1845(弘化2)年に洪庵が天王寺屋より購入し、拡張した建物。 表屋… 特別史跡百済寺跡 8世紀中頃、百済王族の後裔、百済王(くだらのこにきし)敬福は、聖武天皇の東大寺大仏鋳造に際し、陸奥国で採れた金を鍍金用として献上した功により、河内守に任ぜられ、一族は中宮の地に住み、氏寺として百済寺を建立したとされる。約140m四方の寺域に、主要堂塔である中門・金堂・講堂・食堂が南北に並び東西に塔を配置された… 浜街道の歴史的建造物群と南溟寺 紀州街道の海側に平行して通る通称「浜街道」は、江戸時代後期以降の各時代の町家建築が多く残され、歴史的街道として泉大津市の貴重な文化資産となっている。この地は南溟寺を中心とした寺内町として発展したものとみられる。浜街道周辺は泉大津市の毛布産業の発祥の地であり、江戸時代から漁業のかたわら真田紐を生産し、江戸時代後… 池上曽根遺跡 和泉市池上町から泉大津市曽根町に広がる、南北1.5km、東西0.6km、総面積60万㎡もの規模をもつ弥生時代の遺跡。直径300mにおよぶ環濠により囲繞されていた。1995年に集落の中心部で弥生時代最大級の建物跡と井戸が発見された。1999年には大型掘立柱建物跡の近くで発掘された絵画土器を参考に、切妻屋根と独立… 枚方市立旧田中家鋳物民俗資料館 古くから枚方上之町で鋳物業を営み、江戸時代は河内国左右惣官鋳物師として河内の鋳物師を統率。昭和35年頃に廃業。主屋と鋳物工場を藤阪天神町に移築復原。元文4年(1739)の祈祷札がある主屋は桁行8間、梁間4間半、木造つし2階建切妻造。防火を兼ねて当初から本瓦葺であった点が近隣の民家と異なる。瓦葺という事もあり木… 春日大社南郷目代今西氏屋敷 寿永2年(1183)に摂政藤原氏長者近衛基通が春日社へ寄進した荘園垂水西牧榎坂郷に、奈良の南郷から今西氏が目代(荘官)として下向。宝永8年(1711)建築の入母屋造平入の主屋を中心に土蔵・長屋門等が配され、延享3年(1746)に奈良春日若宮神社を遷した南郷春日神社本殿が残る荘官屋敷と今西家文書は中世荘園の歴史… 旧河澄家 河澄家は南北朝時代の日下連河澄与市大戸清正にまで遡り、江戸時代には代々作兵衛を名乗り、日下村の庄屋を務めた。河内の文化人が集まる文芸サロンであり、地域の発展に貢献し、第15代当主は国文学者「上田秋成」と親交があり、第19代当主は小学校設立に私財を投じて尽力した。2001年に東大阪市指定文化財に指定され、復元整… 旧新田小学校校舎 国の義務教育政策が実現する中で建造された現存する府内最古の木造平屋建の校舎。明治33年(1900)建築の寄棟造桟瓦葺で、主屋から突き出た入母屋屋根の正面玄関には式台・虹梁・蟇股・「學」字の鬼瓦を備える。玄関を入り中央部に応接室と教員室、その両翼に土間を廊下として結ばれた教室が並ぶ。昭和48年まで小学校校舎とし… 旧井上家住宅 日下は河内湾の入り江で、古事記や万葉集 に日下(草香)として読まれるなど古くから栄えた土地である。井上家は室町時代から続く旧家と伝えられ、江戸時代後期に日下町の庄屋 を代々務めた。旧井上家住宅は、市域東北部の生駒山西麓のふもとにあり、表門前の東西の坂道が古道(大道)で、西の国道170号線、東の大龍寺に通じる。… 旧中西家住宅(吹田吉志部文人墨客迎賓館) 江戸時代の学者廣瀬旭荘が「其宅華麗 殆類侯居(華麗で諸侯が住まう家のようだ)」と讃えた旧中西家住宅は、文化財を吹田市のために役立てたいという中西家の御厚志により、平成19年(2007)に吹田市に寄贈されたものです。約1,000坪の屋敷地には江戸時代後期の大庄屋の屋敷構えを今日に伝える文政9年(1826)建築の… 日本民家集落博物館 日本民家集落博物館は、豊中市の服部緑地にあり、日本各地の代表的な民家を移築復元し、関連民具と合わせて展示する日本最初の野外博物館として昭和31年(1956年)に開館した。北は岩手・南部の曲家から南は鹿児島・奄美大島の高倉まで、懐かしい日本の風景を展示保存する。各民家は江戸時代の建築で、地方固有の風土・習慣から… 日本基督教団 南大阪教会 日本基督教団 南大阪教会は1926年に設立。村野藤吾の設計で1928年に鉄筋コンクリート造の塔と木造の会堂が竣工。庚申街道に面して建ち、当時、周辺は良質な長屋と田畑が多く残り、優美な教会は際立った。RC造の塔は約3m四方の平面で3層に及び、南面は十字型と丸型を連続的に繰り返す。2年後には隣に村野の設計で幼稚園… 市立枚方宿鍵屋資料館 枚方宿にあり京街道と淀川の両方に接する。江戸時代には宿屋を営み、幕末頃になると淀川三十石船の「船待ちの宿」としても繁盛した。平成9年まで料理旅館を営み、平成11~13年に解体復原、。文化8年(1811)建築の主屋は、木造つし2階建切妻造桟瓦葺2棟で構成。西棟は桁行3間、東棟は桁行5間、梁間6間で正面に4枚の摺… 小西朝陽館 三代目・小西久兵衛は道修町の家業を継ぎ、栄養剤「次亜燐」を開発。当時多くの別荘が建てられた天下茶屋に、皇族の来阪時の宿泊先として建設された小西家の別邸。書院造や数寄屋造などの伝統的な意匠で華やかにまとめる。御殿は木造平屋一部地階建入母屋造桟瓦葺で明治45年(1912)建築、地階には茶室を設ける。御殿・月見台・… 天野山金剛寺 大玄関他11件 天野山金剛寺は奈良時代に僧行基が開基し、平安時代後期 に阿観上人によって再興された。境内は主要伽藍を取り巻く ように100余りの子院が配置されていた。子院の大部分は 江戸時代から明治時代にかけて廃止、統合されたが、本坊周辺では 築地塀 や一部の残された建物は改築されたりして現在 も使われている。また、新たに大… Load More