旧木南家住宅枚方宿にあり京街道に南面して主屋と表蔵が並ぶ。江戸時代初期から庄屋と問屋役人を兼任、江戸時代末期には金融業も営む。江戸時代には代々喜右衛門を名乗っていた。主屋は天保3年(1832)上棟で、棟札には「棟梁 三矢邑大工作治郎 渚邑大工宗助 願主 木南喜右衛門正氏」とある。表蔵を含めて間口10間半、表屋造に類する構成で、梁間1間半の表… 特別史跡百済寺跡 8世紀中頃、百済王族の後裔、百済王(くだらのこにきし)敬福は、聖武天皇の東大寺大仏鋳造に際し、陸奥国で採れた金を鍍金用として献上した功により、河内守に任ぜられ、一族は中宮の地に住み、氏寺として百済寺を建立したとされる。約140m四方の寺域に、主要堂塔である中門・金堂・講堂・食堂が南北に並び東西に塔を配置された… 枚方市立旧田中家鋳物民俗資料館 古くから枚方上之町で鋳物業を営み、江戸時代は河内国左右惣官鋳物師として河内の鋳物師を統率。昭和35年頃に廃業。主屋と鋳物工場を藤阪天神町に移築復原。元文4年(1739)の祈祷札がある主屋は桁行8間、梁間4間半、木造つし2階建切妻造。防火を兼ねて当初から本瓦葺であった点が近隣の民家と異なる。瓦葺という事もあり木… 市立枚方宿鍵屋資料館 枚方宿にあり京街道と淀川の両方に接する。江戸時代には宿屋を営み、幕末頃になると淀川三十石船の「船待ちの宿」としても繁盛した。平成9年まで料理旅館を営み、平成11~13年に解体復原、。文化8年(1811)建築の主屋は、木造つし2階建切妻造桟瓦葺2棟で構成。西棟は桁行3間、東棟は桁行5間、梁間6間で正面に4枚の摺… 大阪歯科大学 牧野学舎本館 明治44年(1911)に大阪市内で大阪歯科医学校として創設。大正6年には大阪歯科医学専門学校、昭和22年に旧制、同27年に新制大阪歯科大学となる。昭和4年に鉄筋コンクリート造の牧野学舎本館が竣工。左右に翼部を張り出し、中央部をひときわ高くして塔屋に校章を飾る。当初は2階建であった中央棟の正面両脇は、昭和29年…