水無瀬神宮水無瀬神宮は、1240年に建立された水無瀬御影堂がその前身とされ、後鳥羽・土御門・順徳の三院を祀る。天王山の麓に位置する境内地は後鳥羽院の離宮水無瀬殿の旧跡と伝えられる。重要文化財の客殿は安土・桃山時代、茶室「灯心亭」は江戸時代前期、国登録有形文化財の本殿・神門及び築地塀は江戸時代前期、手水舎と神庫は大正時代、拝殿及び幣殿は昭和… 特別史跡百済寺跡 8世紀中頃、百済王族の後裔、百済王(くだらのこにきし)敬福は、聖武天皇の東大寺大仏鋳造に際し、陸奥国で採れた金を鍍金用として献上した功により、河内守に任ぜられ、一族は中宮の地に住み、氏寺として百済寺を建立したとされる。約140m四方の寺域に、主要堂塔である中門・金堂・講堂・食堂が南北に並び東西に塔を配置された… 浜街道の歴史的建造物群と南溟寺 紀州街道の海側に平行して通る通称「浜街道」は、江戸時代後期以降の各時代の町家建築が多く残され、歴史的街道として泉大津市の貴重な文化資産となっている。この地は南溟寺を中心とした寺内町として発展したものとみられる。浜街道周辺は泉大津市の毛布産業の発祥の地であり、江戸時代から漁業のかたわら真田紐を生産し、江戸時代後… 池上曽根遺跡 和泉市池上町から泉大津市曽根町に広がる、南北1.5km、東西0.6km、総面積60万㎡もの規模をもつ弥生時代の遺跡。直径300mにおよぶ環濠により囲繞されていた。1995年に集落の中心部で弥生時代最大級の建物跡と井戸が発見された。1999年には大型掘立柱建物跡の近くで発掘された絵画土器を参考に、切妻屋根と独立… 枚方市立旧田中家鋳物民俗資料館 古くから枚方上之町で鋳物業を営み、江戸時代は河内国左右惣官鋳物師として河内の鋳物師を統率。昭和35年頃に廃業。主屋と鋳物工場を藤阪天神町に移築復原。元文4年(1739)の祈祷札がある主屋は桁行8間、梁間4間半、木造つし2階建切妻造。防火を兼ねて当初から本瓦葺であった点が近隣の民家と異なる。瓦葺という事もあり木… 旧中西家住宅(吹田吉志部文人墨客迎賓館) 江戸時代の学者廣瀬旭荘が「其宅華麗 殆類候居(華麗で諸侯が住まう家のようだ)」と讃えた旧中西家住宅は、文化財を吹田市のために役立てたいという中西家の御厚志により、平成19年(2007)に吹田市に寄贈されたものです。約1,000坪の屋敷地には江戸時代後期の大庄屋の屋敷構えを今日に伝える文政9年(1826)建築の… 日本民家集落博物館 日本民家集落博物館は、豊中市の服部緑地にあり、日本各地の代表的な民家を移築復元し、関連民具と合わせて展示する日本最初の野外博物館として昭和31年(1956年)に開館した。北は岩手・南部の曲家から南は鹿児島・奄美大島の高倉まで、懐かしい日本の風景を展示保存する。各民家は江戸時代の建築で、地方固有の風土・習慣から… 市立枚方宿鍵屋資料館 枚方宿にあり京街道と淀川の両方に接する。江戸時代には宿屋を営み、幕末頃になると淀川三十石船の「船待ちの宿」としても繁盛した。平成9年まで料理旅館を営み、平成11~13年に解体復原、。文化8年(1811)建築の主屋は、木造つし2階建切妻造桟瓦葺2棟で構成。西棟は桁行3間、東棟は桁行5間、梁間6間で正面に4枚の摺… 天野山金剛寺 大玄関他11件 天野山金剛寺は奈良時代に僧行基が開基し、平安時代後期 に阿観上人によって再興された。境内は主要伽藍を取り巻く ように100余りの子院が配置されていた。子院の大部分は 江戸時代から明治時代にかけて廃止、統合されたが、本坊周辺では 築地塀 や一部の残された建物は改築されたりして現在 も使われている。また、新たに大… 大阪歯科大学 牧野学舎本館 明治44年(1911)に大阪市内で大阪歯科医学校として創設。大正6年には大阪歯科医学専門学校、昭和22年に旧制、同27年に新制大阪歯科大学となる。昭和4年に鉄筋コンクリート造の牧野学舎本館が竣工。左右に翼部を張り出し、中央部をひときわ高くして塔屋に校章を飾る。当初は2階建であった中央棟の正面両脇は、昭和29年… 大阪城天守閣 大阪城は戦国時代の大坂本願寺(石山本願寺)を前身とし、織田信長と戦った石山合戦、豊臣秀吉による築城、大坂の陣による落城、徳川幕府による再築、明治維新の動乱による焼失と、日本の歴史とつねに深いかかわりを持ちながら現在に至っている。石垣や堀、大手門・多聞櫓・千貫櫓などといった古建造物はすべて徳川時代以後のもので、…