太歳神社(牧)表参道入り口の鳥居をくぐると町の保護樹木指定の2本の大木があり、その先の木立の参道を上って行くと境内に着く。手前に舞殿形式の拝殿、その後方の石垣上に本殿と末社が建つ。創建は不明だが、永仁4年(1296)の棟札文が伝わる。三神(稲田姫命・大巳貴命・須佐之男命)を祀り、産土神として大切にされている。毎年10月には例大祭が行われ、数年… 麻田藩陣屋門(上西家住宅) 麻田藩陣屋の西門とされるが、陣屋絵図には西門がなく陣屋内の門あるいは家臣邸の門かと思われる。経緯は不詳だが麻田藩の医師であった当家に移築。江戸時代末期建築とみられ入母屋造で瓦当は家紋の州浜、両脇に二間四方の居室と、両開扉を釣込んだ両側に潜口を設け番所を張出した屋敷門の形式をもつ。右の間は内部に式台玄関を設け、… 麻田藩主邸表玄関(報恩寺) 麻田藩藩主屋敷の表玄関と伝えられ、3間通しの式台の内側に12畳の広間を設ける。正面には大虹梁をかけ、中央は家紋「富士に霞」の蟇股を備える。移築に際し一部柱間装置を変更したが、内法長押や襖金物は当初のままで、江戸時代後期の小大名屋敷の玄関遺構として貴重。書院も同時に移築された。当寺は天平年間に開創した金寺千坊の… 特別史跡百済寺跡 8世紀中頃、百済王族の後裔、百済王(くだらのこにきし)敬福は、聖武天皇の東大寺大仏鋳造に際し、陸奥国で採れた金を鍍金用として献上した功により、河内守に任ぜられ、一族は中宮の地に住み、氏寺として百済寺を建立したとされる。約140m四方の寺域に、主要堂塔である中門・金堂・講堂・食堂が南北に並び東西に塔を配置された… 片埜神社 欽明天皇の時代に「片野神社」の社号を賜った延喜式内社。平安時代後期には「一宮(いちのみや)」と改め、明治時代に社号を「片埜神社」に復する。兵火に罹り、荒廃と再建を繰り返したが、天正11年(1583)に秀吉が大坂城鬼門鎮護の社と定めて尊崇、修築した。慶長7年(1602)に秀頼が片桐且元を総奉行として本殿を再建。… 浜街道の歴史的建造物群と南溟寺 紀州街道の海側に平行して通る通称「浜街道」は、江戸時代後期以降の各時代の町家建築が多く残され、歴史的街道として泉大津市の貴重な文化資産となっている。この地は南溟寺を中心とした寺内町として発展したものとみられる。浜街道周辺は泉大津市の毛布産業の発祥の地であり、江戸時代から漁業のかたわら真田紐を生産し、江戸時代後… 池上曽根遺跡 和泉市池上町から泉大津市曽根町に広がる、南北1.5km、東西0.6km、総面積60万㎡もの規模をもつ弥生時代の遺跡。直径300mにおよぶ環濠により囲繞されていた。1995年に集落の中心部で弥生時代最大級の建物跡と井戸が発見された。1999年には大型掘立柱建物跡の近くで発掘された絵画土器を参考に、切妻屋根と独立… 枚方市立旧田中家鋳物民俗資料館 古くから枚方上之町で鋳物業を営み、江戸時代は河内国左右惣官鋳物師として河内の鋳物師を統率。昭和35年頃に廃業。主屋と鋳物工場を藤阪天神町に移築復原。元文4年(1739)の祈祷札がある主屋は桁行8間、梁間4間半、木造つし2階建切妻造。防火を兼ねて当初から本瓦葺であった点が近隣の民家と異なる。瓦葺という事もあり木… 林昌寺「法林の庭」 行基開山とされる真言宗の古刹。創建当時から威容を誇っていた大伽藍は、織田信長南逆征討の折に焼失し、現在の諸堂宇は、江戸時代初期から中期にかけて建立されたものである。昭和36年、重森三玲作の「法林の庭」は、林昌寺が阪和西国第28番札所であるところから、和歌山産の青石28個で構成、中央には本尊石を置き、全体で極楽… 春日神社(津田) 創建年代不明の産土社。嘉吉2年(1442)春日四神を勧請、中世以降の宮座が残る。本社本殿は一間社春日造檜皮葺の春日大社旧本殿を移築した「春日移し」、末社若宮八幡宮本殿は三間社流造檜皮葺、春日大社末社三十八所神社本殿の「三十八所移し」。明和3年(1766)の式年造替で建立されたものを天明6年(1786)に移築。… 春日大社南郷目代今西氏屋敷 寿永2年(1183)に摂政藤原氏長者近衛基通が春日社へ寄進した荘園垂水西牧榎坂郷に、奈良の南郷から今西氏が目代(荘官)として下向。宝永8年(1711)建築の入母屋造平入の主屋を中心に土蔵・長屋門等が配され、延享3年(1746)に奈良春日若宮神社を遷した南郷春日神社本殿が残る荘官屋敷と今西家文書は中世荘園の歴史… 旧河澄家 河澄家は南北朝時代の日下連河澄与市大戸清正にまで遡り、江戸時代には代々作兵衛を名乗り、日下村の庄屋を務めた。河内の文化人が集まる文芸サロンであり、地域の発展に貢献し、第15代当主は国文学者「上田秋成」と親交があり、第19代当主は小学校設立に私財を投じて尽力した。2001年に東大阪市指定文化財に指定され、復元整… 旧新田小学校校舎 国の義務教育政策が実現する中で建造された現存する府内最古の木造平屋建の校舎。明治33年(1900)建築の寄棟造桟瓦葺で、主屋から突き出た入母屋屋根の正面玄関には式台・虹梁・蟇股・「學」字の鬼瓦を備える。玄関を入り中央部に応接室と教員室、その両翼に土間を廊下として結ばれた教室が並ぶ。昭和48年まで小学校校舎とし… 日本民家集落博物館 日本民家集落博物館は、豊中市の服部緑地にあり、日本各地の代表的な民家を移築復元し、関連民具と合わせて展示する日本最初の野外博物館として昭和31年(1956年)に開館した。北は岩手・南部の曲家から南は鹿児島・奄美大島の高倉まで、懐かしい日本の風景を展示保存する。各民家は江戸時代の建築で、地方固有の風土・習慣から… 恩智神社 創建は雄略年間(470年頃)と伝えられ、河内の国の守護のため祀られた神社で、平安時代は延喜式の名神大社に列する。社殿は当初、天王の森(現お旅所)に建立されていたが、建武年間(1334-1336年)に恩地左近が恩智城築城の折、恩智山上に奉遷、現在に至る。本殿の建築様式は、王子造(流造の一種)で極めて珍しい貴重… 市立枚方宿鍵屋資料館 枚方宿にあり京街道と淀川の両方に接する。江戸時代には宿屋を営み、幕末頃になると淀川三十石船の「船待ちの宿」としても繁盛した。平成9年まで料理旅館を営み、平成11~13年に解体復原、。文化8年(1811)建築の主屋は、木造つし2階建切妻造桟瓦葺2棟で構成。西棟は桁行3間、東棟は桁行5間、梁間6間で正面に4枚の摺… 天野山金剛寺 大玄関他11件 天野山金剛寺は奈良時代に僧行基が開基し、平安時代後期 に阿観上人によって再興された。境内は主要伽藍を取り巻く ように100余りの子院が配置されていた。子院の大部分は 江戸時代から明治時代にかけて廃止、統合されたが、本坊周辺では 築地塀 や一部の残された建物は改築されたりして現在 も使われている。また、新たに大… 天神社 滝畑七ヵ村の氏神で、元は大梵天王社と称されていた。本殿は三間社流造、梁間2間、極彩色が施され、屋根は檜皮葺であったが現在は銅板葺。正面中央間に軒唐破風を飾り、本棟に千木・勝男木を置く。興国6年(1345)の棟札が残されているが、現在の本殿は江戸時代前期の慶長・元和頃の再建。本殿と境内の木製灯篭(江戸時代末期 … 大阪歯科大学 牧野学舎本館 明治44年(1911)に大阪市内で大阪歯科医学校として創設。大正6年には大阪歯科医学専門学校、昭和22年に旧制、同27年に新制大阪歯科大学となる。昭和4年に鉄筋コンクリート造の牧野学舎本館が竣工。左右に翼部を張り出し、中央部をひときわ高くして塔屋に校章を飾る。当初は2階建であった中央棟の正面両脇は、昭和29年… Load More